プライベートコンサルタント紹介

「誠はいつも全体を見ているね」

1歳半から2歳
自宅マンションのベランダで

1969年名古屋市中村区(下町です)生まれ。
父親の会社の社宅アパートで、父、母、姉との4人で暮らしていました。 幼稚園が仏教系で、毎日、お釈迦様や大日如来を拝み、友達と遊びまわる元気な子どもでした。明るくひょうきんで、人を笑わせることが大好き。生きものも大好きで、アパートなのに犬1匹、セキセイインコ10羽を飼っていました。

小学生のころから世情やニュースに興味がありました。 ストライキで賃上げを叫ぶ大人の姿をテレビで見て、「会社が給料を上げ過ぎたら、潰れちゃうよね」と、母親に尋ねたことがあるほど、世の中の動きに関心があったのです。
そんな私を見て、叔母に「誠はいつも全体を見ているね」と言われた記憶があります。

小学4年生で、愛知県の高蔵寺ニュータウンへ引っ越し、新築の一軒家に住み始めました。
専業主婦だった母親はローン支払いのためパートに出始め、父親は異動で遠方勤務に。 下町からニュータウン暮らしになり、家族が家にいない時間が増え、私は友達もまったくいない環境に戸惑いました。
当時は子どもの数が多く、新設校への転校が小・中学校で各1回。明るく過ごしてはいましたが、環境の変化もあって私の成績は上位から中位へ。中学1年生でいじめに遭い、この頃はやや人間不信になりました。 一方で、友人や、教師ら大人たちの様子を観る(視る)人間観察をしながら、人の気持ちや言動を冷静に捉えるようになったのもこの頃からです。

小学校5年生
祖父宅で親戚の集まりで

もともと活発でしたから、小学校はサッカー、中学と高校ではバスケットボール部で汗を流し、中・高は学校を一日も休みませんでした。
当時、両親に頼んでニューズウィーク(日本語版)を購読していました。 「真実を伝えるジャーナリストになりたい」という夢を描いていたからです。

心に向き合い、本質を探る時間を重ねて

18歳、志望大学への受験に失敗。地元大学(夜間部)に入学し、法律を学び始めました。同時にイベントサークルを立ち上げ大イベントを企画。運営や集客、採算を考えて人を動員する楽しさを体験、まさにバブル期を謳歌する学生でした。
しかし20歳の時、車を運転中に大事故を起こし、奇跡的に助かります。

そして、ある人から言われた言葉にハッとしました。
「あなたは生かされている」
事故を機に私は、自らの生き方を考えるようになりました。 民生委員や児童委員をしていた祖父の「世のため、人のため」という姿も、いつも脳裏にありました。

就職活動では志望企業からの内定出ず。 軽い気持ちで司法書士試験の受験を決め、合格の通知を受け取るまでに5年半。27歳で合格。 3年後の1999年、学生時代に出会った妻と結婚、独立開業しました。

振り返ると、小学4年生から司法書士合格の27歳まで、自分の思うようにならず、もどかしく重苦しい時間を生きていたように思います。 しかし反面、人の心や言葉、行動を捉え、自分の心とも向き合いながら、私は「本質」を探る時間を重ねていたのだとも思うのです。

素直に見せられないのが「心」。
それでも誰かに触れてほしいのが「心」。

人が生きるこの世の中で、大切なことは実はとてもシンプルです。
「相手の利益を叶えることで、自分の望みは叶う」
「捨てなければ入ってはこない。執着を捨てる」
司法書士として、さまざまな方の人生に立ち会い、さまざまな価値観に触れてきました。多くのご縁をいただく中で、人生における価値も幸せも、地位やお金の有無では測れないものなのだと私は実感しています。

人は、誰しも心を素直には見せられないものです。
しかし不安で、寂しくて、誰かに触れてほしいと願うのも、また「心」なのです。
内容 私はその心に触れていきます。躊躇せずに。 混沌として絡まった人間関係、家族関係を整理し、分析・要約し、誰にでも理解される言葉で話します。 なぜなら、少年時代の夢だったジャーナリスト以上に、言葉の力を信じているからです。言葉は人の心を動かし、人の心を抱擁することもできるものだと私は思っています。

クライアントの人生に立ち会い、クライアントと一緒にとことん生きることができるプライベートコンサルタントという仕事は、私の人生そのものです。そして、私の生きがいです。